2018-01-01から1年間の記事一覧
これは、セコム創業者の飯田亮(まこと)さんの言葉です。 人は本当に信じていることであれば、多少の困難は堂々と乗り越えられます。 セコム創業者の飯田亮さんは、未開拓の新事業にしか興味がありませんでした。 「こんな商品、サービスがあれば便利だな、…
これは、元ボクシングJミドル級世界チャンピオンの輪島功一さんの言葉です。 大リーグには四十歳を過ぎても現役バリバリの投手がいくらでもいます。 大リーガーにとって、「年をとる」と「衰える」は必ずしも同義語ではありません。 とはいえ、そんな大リー…
これは、ノーベル物理学賞受賞者の中村修二(しゅうじ)さんの言葉です。 一つの製品をつくるには、大変な手間や時間がかかります。 困難もつぎつぎと襲ってきます。 だから、ダメならダメでさっさとあきらめ、つぎの開発に取り組んだほうがいいという考えも…
これは、トヨタ自動車名誉会長の張(ちょう)富士夫さんの言葉です。 明治維新での函館五稜郭(ごりょうかく)の戦いで、新政府軍の責任者だった黒田清隆(きよたか)は、幕府軍の司令官榎本武揚(えのもと たけあき)の才能を惜しみ、助命運動を行いました…
これは、陶芸家の加藤唐九郎さんの言葉です。 日本を代表する二つの企業A、Bに対して、こんな話があります。 A社は、社長に上げた案件で一度「ノー」と言われると、その案件は二度とあげることができません。 B社は、社長に上げた案件で一度「ノー」と言わ…
これは、フランスのモラリスト(道徳家)のボーブナルグの言葉です。 話を少し聴いただけで、部下の提案に、 「それなら昔やったことあるけどダメだったんだよ」 「よけいなことを考えなくていいから数字を上げてくれ」とか言って、 部下のやる気をそぐ上司…
これは、フランスのことわざの一つです。 資生堂名誉会長・福原義春(よしはる)さんがしばしば紹介していたのが、 「できないことはつねに百あり」です。 ある村を王様が訪ねたところ、歓迎の大砲が鳴りませんでした。 理由を尋ねてみると、 「眠っている子…
これは、元全日本女子バレーボールチーム監督の柳本晶一(やなぎもと しょういち)さんの言葉です。 かつて「東洋の魔女」と呼ばれ、日本のお家芸でもあった女子バレーボールが、メダルから遠ざかるばかりか、 2000年のシドニーオリンピックでは出場権さえ逃…
これは、本田技研工業元副社長の藤沢武夫さんの言葉です。 免疫学者の石坂公茂(きみしげ)さんは、国立予防衛生研究所時代に部下全員が年上という環境の中で、血清部の部長補佐を務めた経験があるようです。 役職が上とはいえ、先輩達に命令するのはどうか…
これは、リコー特別顧問の桜井正光(まさみつ)さんの言葉です。 ”この商品、このサービスは確実に大ヒットする。” そう100パーセントわかっていれば、みんなが「やらせてください」と言うに決まっています。 かつれ、それに似た時代がありました。 ものが不…
これはロシアの科学者、ドミトリ・メンデレーエフの言葉です。 大学在学中に堀場(ほりば)無線研究所を創業した学生ベンチャーの先駆けといえる堀場雅夫さんの持論は、「仕事はおもしろおかしく」です。 ”先駆けとしての苦労は多かったが、それでも挑戦する…
これは、福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康(きみやす)さんの言葉です。 自主性、自発的ということに関して、西武からダイエー(現ソフトバンク)、巨人を経て横浜バイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)で活躍した工藤公康さんが、記者から「若手に…
これは、イギリス海軍提督のネルソンの言葉です。 スポーツチームの監督にとって、実績のある選手をはずし、未知数の選手を使うというのは、とても勇気のいることです。 調子が悪くても実績のある選手を使って負けたのなら言い訳が出来ますが、 未知数の選手…
これはアメリカの医師、セオドア・アベリーの言葉です。 セブン&アイ・ホールディング元会長の鈴木敏文さんは、日本に初めて本格的なコンビニエンスストアを展開し、今日の隆盛を築いた人です。 ですが、「日本でコンビニを」と考えた時点では、イトーヨー…
これはマツモトキヨシ創始者の松本清さんの言葉です。 世の中には知識豊富で弁も立つアイディアマンがいます。 ですがアイデアは、考えるよりも実行して形にするほうが何十倍も大変なんです。 すなわち、ものごとは考えるだけではダメで、まずやってみること…
これは、京セラ創業者の稲盛和夫さんの言葉です。 企業で最も求められる力の一つが「やりぬく力」です。 京セラ創業者である稲盛和夫さんのエピソードが、やり抜くことの大切さを、迫力を持って教えてくれました。 昭和50年代、取引のある日立製作所から稲盛…